以下を、コラムに載せるかどうか非常に迷いました。
ただ、こういう現実があったということ。
現在も傷を抱えて生きている遺族の方々がおられ、健康にお子さんが幼稚園に通い続けている事の幸せを思っていただきたく、載せさせていただく事にいたしました。
9月23・24日と被災地に行ってまいりました。
私は既に数回、被災地で復旧活動をしましたが、今回は高校3年生の次女を連れて、被災地に慰霊の思いを持って行きました。
幾つもの被災地で私が一番胸を打たれたのが、写真の石巻市立大川小学校です。
児童108人中、74人が亡くなったり行方不明になった小学校です。
この写真は朝9時30分頃です。
供花いたしましたが、もう花束でいっぱいで、持って行った花束を強く花束の間に押し込みました。
私たちの後にも、数組の方が花束を手に順番を待っており、長くお祈りする事はできませんでした。
見ていると、次々に花束を持った方々がやってきます。
花束の間に、遺族が書いた我が子へのメッセージが幾つもあり、涙無くして読む事はできませんでした。
元気に遊ぶひかりの子ども達を思いました。
すぐそこに見える山に避難すれば、きっと全員が助かったのです。
それを思うと、胸が苦しくなります。
次女は大きなショックを受け、涙を流していましたが、こういう現実を受け止め、大きく成長することを願います。
この絵は、卒業記念に描かれたものでした。
被災直後の写真では、この塀の周りは数メートルのがれきに囲まれていました。
今は片付けられていますが、がらんとして周りには何も無く、沼のようになっています。
大川小学校は町中にあったのですが、町は今、跡形もありません。
実際に行ってみて感じられる事があります。
ですが、うまく言葉に言い表わす事ができません。
大川小学校に行き慰霊をした事は、私の深いところに大きな影響を
与えているのを、今でも感じています。
これは気仙沼です。
打ち上げられた貨物船の前で。